今、降格を経験したサッカー王国静岡県のサッカークラブは消滅するのか、清水エスパルスとジュビロ磐田。かつてはJ1リーグで上位が定位置であった両クラブがいよいよJ1にいることも難しくなり、J2で戦う機会が増えるようになってきています。静岡県と言えば、日本で最もサッカーのレベルが高いと言われていた地域なのですが、もはやそうではないようです。
サッカー王国静岡
サッカーが盛んな県として真っ先に名前が上がる静岡。これはなぜかというと、高校サッカーのレベルの高さもそうでしたが、有名なサッカー選手がことごとく、静岡県から輩出されていたのです。1998年のフランス大会から2018年までW杯代表選手は90人、そのうち静岡県出身者が16人と最多なのです。日本代表のレジェンド達を数多く輩出してきたこともサッカー王国と呼ばれる大きな理由です。スポーツの戦いを見るなら静岡と言われていましたが、今では昔の話。結果も振るわず、静岡のクラブの人気ランキングも下降していてサポーターが減ってます。
子供から大人までサッカー
静岡県は野球チームがないことからサッカー文化が昔から強く浸透しています。1991年には清水エスパルスが誕生し、高校選手権では清水東高、清水商業などが猛威をふるっており、1960~1995年の全国高等学校サッカー選手権にて静岡県代表は10回も優勝しました。子どもからシルバー世代までサッカーが最大の娯楽となったのです。メディアの露出も多く、ニュース情報などで頻繁に静岡ダービーなどのサッカーニュースが流れています。
Jチームが2つ
そして清水エスパルスに加えて、ジュビロ磐田がJリーグに参入し、Jリーグは2チームの静岡県内クラブが誕生したのです。1999年には磐田と清水のチャンピオンシップも行われ、静岡県民としてはハイレベルなプロサッカーチームの戦いを間近で見ることができました。この時期はそれ以外にも磐田と鹿島による激しい戦いが繰り広げられていました。この時の鹿島と磐田はまさに日本の頂点のクラブと言えました。ピッチに入れば勝利は当たり前、前半で負けてても後半に必ず逆転するという時代でした。
静岡県の凋落
しかしその歴史も2010年代に入ると、衰退の兆しが見えてきます。2022年のFIFAワールドカップでは、日本代表選手のうち静岡県出身選手はたった2人。高校サッカー選手権では千葉県勢が強勢を誇り、静岡県のチームはだんだん勝てなくなりました。2020年代になると、Jクラブの2チームももはや、J1にいることも難しいレベルになっていきました。まさに時代の変化を感じさせるような時を迎えているのかもしれません。ファンからみてもエスパルスやジュビロが自動昇格を争う様子を見なければならないのは苦痛です。
代表選手も減る
上記に伴い、五輪など監督や選手として出場する人も減っています。一覧で見ると静岡以外が増えており、静岡のニュースや速報、コラムでは王国は神奈川などに移ったとみる意見もあります。将棋、ボクシング、格闘技、競馬、芸能や高校野球、プロ野球、ゴルフなど注目のコンテンツが増えており、世界の記者から見ても県民の社会への関心は移っています。最新の話題のイベントがコンビニやショップで販売されている紙面やsnsで掲載されますが、注目なのは大人気の大谷翔平など。
J2での対決も増える静岡ダービー
磐田や清水の没落は地元民や企業の関心を失っています。開催されるこんなダービーの対決や挑戦を見ても、日程にすら関心を持たない人が増えています。今季は競技で応援すらしないサポーターもいて、県内の育成もいずれ疎かになると指摘されています。専門による予想では大きく静岡が再度注目されることはないだろうとも言われているのです。地元で新たなファンを獲得すらできなくなっており、サッカーを目指す少年も減っています。
清水エスパルスの歴史
それでは清水エスパルスの歴史を振りかえってみましょう。清水エスパルスは日本の静岡県静岡市を本拠地とするプロサッカークラブです。清水はオリジナル10の一つで、1993年にJリーグに加盟。本拠地はIAIスタジアム日本平です。1990年代はとても強いチームで、トップレベルのチームでしたが、2010年代ごろから、徐々にJ2降格の可能性を匂わせるような戦いぶりを見せるようになり、降格を何度も味わってしまっています。
1993
1993年にJリーグに加盟した清水はヤマザキナビスコカップ準優勝、それ以降はリーグ優勝もできずに、低迷していたのですが、1999年にようやく2ndステージでステージ優勝を果たしました。しかし同時期、強勢を誇っていたのはジュビロ磐田。同じ静岡県の強豪クラブに敗れてしまい、念願のリーグ優勝ができませんでした。しかし2000年にアジアカップウィナーズカップで優勝を果たし、念願の国際タイトルを獲得しました。
2002
2002年は天皇杯優勝も経験しました。さらにゼロックススーパーカップも優勝し、ワールドカップでは市川、アレックス、戸田、森岡と4選手を代表に選出し、強豪チームであることを印象付けました。しかしその後のシーズンは2005年に天皇杯に準優勝するものの、リーグ戦は2006年、2007年の4位を最後に徐々に順位を落としていきます。
2015
2010年代あたりから衰退の兆しを見せ始めていた清水はいよいよ2015年にJ2降格を味わってしまいます。1stステージは最下位となり2ndステージも低迷し降格が決定。しかし翌年2016年はチームが奮起し、2位となり1年でのJ1復帰を決めたのです。しかしJ1復帰を決めたものの、清水には以前のような力はなく、下位に低迷するシーズンが増えていきました。
2022
下位が指定席となっていた清水にとっては2022年も厳しいシーズンとなり、17位に終わり、7年ぶりのJ2降格となりました。特にこの数年は失点数の多さが際立っており、J1クラブの中でもワーストになることも多く、総得点もそれほど多くないため、降格は免れませんでした。2023年シーズンはJ2での戦いになっています。
ジュビロ磐田の歴史
ジュビロ磐田は日本の静岡県、御前崎市、菊川などを拠点とするプロサッカークラブです。前身は1972年のヤマハ発動機サッカー部。このクラブはヤマハとのつながりがとても強いです。1993年にJリーグ準会員、1994年に正会員となりました。ジュビロ磐田といえば1990年代末の鹿島アントラーズとの激しいトップ争いで、2強時代と言われていました。しかし2010年代あたりから衰退の兆しを見せるようになり、最後には何度もJ2降格してしまうクラブとなってしまったのです。
1997
1997年に磐田はステージ優勝し、鹿島との激しいチャンピオンシップの戦いの末、初のリーグ優勝を果たすことができました。この戦いは翌年1998年も続き、鹿島が今度は王者となりました。1999年は同じ静岡同士のチャンピオンシップとなり、磐田が王者へ返り咲きしたのです。このようにこの時代の磐田はまさに日本のトップクラブと言っても良いレベルで、所属選手も名波、高原、中山、服部、福西、大岩、藤田など日本を代表する選手ばかりでした。2002年にも磐田は前期、後期ともに優勝し完全優勝を達成。ベストイレブンは磐田だけで7人も選出されたのです。まさに磐田の絶頂期と迎えたと言ってもいいでしょう。
2003
2003年もゼロックス、天皇杯で優勝しますが、このあたりから浦和や横浜の台頭により、徐々にタイトル獲得が難しくなっていきます。2005年頃になるとガンバ大阪も台頭してきてしまい、磐田は優勝が難しくなっていきます。年を追うごとに順位は落ちていき、2008年に至ってはまさかのJ1J2入れ替え戦に出場することになってしまいました。なんとか残留はできたものの、衰退の傾向はハッキリ見えてきたのです。
2013
衰退の兆しを見せていた磐田は2010年代になると下位に沈むようになってきており、十分な戦力を維持できなくなっていたのです。そこで2013年いよいよ屈辱の降格をしてしまいます。2014年は一年でJ1復帰ができず、2015年にやっとJ1復帰を決めました。しかし以前のような磐田を見ることはできず、補強費用も満足にない状況では上位に進出することはできませんでした。
2019
2020年は年間順位17位以下が確定し、再度J2降格となりました。しかしその後は1年では再昇格はできず、以前の力が残っていないことを証明してしまいます。2020年は6位、2021年でようやく再昇格を果たしました。しかし2022年はもうJ1で戦えるほどの戦力も残っておらず、たった1年でJ2降格が決まってしまったのです。
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